モーセの十戒

セシル・B・デミル監督による「十戒」という映画をご存知でしょうか。この映画は1957年に作られた映画で、海が割れる迫力あるシーンが印象に残っている方も多いかと思います。マイケル・パークス監督による「天地創造」と並び旧約聖書をテーマとした映画作品の古典といえるでしょう。

今回お話しするのは、「十戒」という題名の元ネタであるモーセが授かったとされる十戒についてです。『旧約聖書』(ユダヤ教徒の視点からは『聖書』ですが)は、ユダヤ教のみならずキリスト教における聖典でもあります。この十の戒めは宗教的義務の中核を記したものであり、ユダヤ/キリスト教の視点に深い影響を及ぼしていると考えられます。『旧約聖書』でモーセの十戒が述べられている箇所は「出エジプト記」第20章。そこに記されているモーセが十戒を授かるまでの経緯を以下に纏めます。

イスラエル人の一部はカナーンの地に定着せずにエジプトに行きましたが、エジプトにおけるイスラエル人の立場は奴隷でした。そんな苦境ゆえ、紀元前13世紀頃イスラエル人はエジプトを脱出することになります。その時の指導者がモーセです。

モーセが生まれた頃のエジプトはラムセス1世の時代です。ラムセスは神のお告げを受けヘブライ人の男の子を殺すよう命令を出しました。この時モーセも殺される対象だったのですが、ナイル川に流されることによって殺されずに済みました。そして、川に流されたモーセを拾ったのがエジプトの王女でした。

しかしながら、成長したモーセは自らがイスラエル人だと知り、さらには神からのお告げを受けたことにより、イスラエル人を連れてエジプトを脱出することに決めます。エジプト王にとってヘブライ人は貴重な労働力であり、王自らが先頭に立って彼らを追いました。モーセたちは紅海に追い詰められ絶体絶命の危機に…しかし、モーセが杖をかざすと海が割れイスラエル人は無事に対岸へ渡ることができました。エジプト人も追ってはきましたが、その途中で割れた海が元通りになりイスラエル人はエジプト軍から逃げ切ることが出来たのです(上で述べた映画「十戒」における有名なシーンです!)。

その後、モーセ達は砂漠をさまよい、シナイ山にてモーセが神ヤハウェから十戒を授かることになります。十戒を授かるにあたり、モーセは神と契約をしました。イスラエル人が神の定めた律法に従う限り神はイスラエル人を救済してくれるという契約です。十戒は今後ユダヤ教における律法(トーラー)の典型となります(まだこの時点ではユダヤ教自体は成立していませんが)。その後モーセ達は、無事カナーンの地にたどり着きました。

十戒の内容は次の通りです。

1.あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
2.あなたはいかなる像も造ってはならない。
3.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
4.安息日を心に留め、これを聖別せよ。
5.あなたの父母を敬え。
6.殺してはならない。
7.姦淫してはならない。
8.盗んではならない。
9.隣人に関して偽証してはならない。
10.隣人のものを一切欲してはならない。
                      (新共同訳)

数字は便宜上付けました。

1.はヤハウェのみを神とするということですから、ユダヤ教およびキリスト教(そして後のイスラームもですが)が一神教であると明言されているわけです。旧約の神が「嫉む神」であるといわれる由縁の一つでもあります。

2.は、後々これを元に東ローマ帝国のレオン3世が偶像破壊令を出したりしましたので、芸術的観点からするとかなりの損害を引き起こした戒めです。ところで、神はいかなるイメージでも捉えることが不可能な存在なのでいかなる像でも表しえません。しかし、もし神の像を造り拝んでしまったとすると、ある意味偽の神を拝むことになってしまいます。なおかつその偶像は人間が作り出したものであるのならば、ある意味神に対する冒涜となるやもしれません。それを禁止した戒めだと捉えるのがよろしいのではないでしょうか。

3.は、まずもって神を軽々しく扱うなという戒めだと読めます。魔術的伝統とも重なりますが、「言葉」にはパワーがあるとする流れが、西洋のみならず日本にもありますよね(言霊など)。だとすると、神の名を軽々しく唱えることはできないとされるのは当然かもしれません。そしてこの戒めを元に、ユダヤ教では神の名YHVHは発音してはいけないとされるのです。

4.は、『旧約聖書』における冒頭の書「創世記」の神による天地創造の場面を踏まえた戒めで、神が行ったように人間も活動せよ─つまり、神を模範とせよ─と読める戒めです。

1.から4.ですが、宗教的義務を課しています。5.~10.で述べられている倫理的義務についてはユダヤ/キリスト教に特徴的なわけではないと思いますので、この場で特にコメントは加えません。

十戒全体を通して厳しい命令口調(それもほとんどが禁止!)であるところなどからも、ヤハウェの父性的な側面が見られるのではないでしょうか。

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